しばらくはこの話題に触れるのを避けていたのですが、半年を過ぎたので先生のことを懐かしんでこの場で少しだけ話をさせてもらいます。関数解析・偏微分方程式という時の時代を担う吉田耕作先生(第二次世界大戦で中断していた国際数学者会議が1950年・昭和25年に16年ぶりに開催されました。ときの鳳・プライマリースピーカーが吉田耕作先生でした。4年ごとに開かれる国際数学者会議で1954年・昭和29年に小平邦彦先生が日本人で初めてのフィールズ賞に輝きました。当時のフィールズ賞は2人でした)の門下生としてファンクショナル アナリシス(関数解析。スプリンガー社)の全ての編集を小松先生が担われていました。小松先生と佐藤幹夫先生とで:ローラン・シュワルツ教授(フィールズ賞受賞者)のディストリビーションだけでは不十分な点をあげてハイパーファンクションを確立して微分方程式への導入を行いました。昭和50年代前半は:小松先生の数学特論は大学院生と言うよりも研究者への授業というものでした(その後私は応用数学への道に進み、いまは工学への応用を行っています)なんと言っても1990年・平成2年に京都で行われた国際数学者会議を思い出します。先生は議長という最高位の立場から森重文京都大学教授にフィールズ賞を授与しました(私もずいぶんと先生のアシスタントをいたしました)。小松彦三郎先生が他界なされてまもなく佐藤幹夫先生も他界されました。時代は確実に過ぎていくのですね(私の論文審査を行って下さった:藤田宏先生は94歳というご高齢ですがご存命です。嬉しいです)。この半年私の気持ちが揺らいでいてすみませんでした。落合先生、河合先生、柏原先生(小松・佐藤の門下生代表。東大・京大名誉教授)ありがとうございました。
葬儀執行委員・羽立健三
葬儀執行委員・羽立健三