今回の思いでは随分と苦労して(医学部に)合格した卒業生について書いてみます。栗原敏夫君(東邦大附属東邦卒。4浪して東京医科大学)。このブログを見ると敏夫君はヒヤヒヤ物ですがあえて書かしてもらいます。高校を卒業して浪人が始まりましたが:とても予備校の授業には付いていけないと思い全て家庭教師で始めたとのこと。2浪目は河合塾、3浪目は代々木ゼミナール+当塾。4浪目は駿台+当塾。全ての予備校に通った感じですよね(高校時代は微分も出来なかった。お前よく高校卒業できたな!。東邦はバカが多いので出来ました。東京慈恵会医科大学の栗原一族です。お父様は千葉県医師会副会長⇒会長を長きに渡り勤め上げました。敏夫君も今では船橋市の医師会役員として腕を振るっています。大学時代の同期の彼女と結婚して、まもなく私のところに:子供もお願いしますと言いに来ると思います)。敏夫君とは何度も吞みに行きました(病院も新しくして、もの凄く頑張っています)。2人目は小林暁君(函館ラサール中等部卒⇒京華高校高3中退+大検。4浪して帝京大学医学部現6年)は破天荒な高校時代と浪人時代を過ごしました。函館での寮がなじめず東京に戻って来て受け入れてくれる高校は京華のみとの事でした。こんな高校の先生達とは馴染めませんよね。単位を修得したら高3の2学期に中退。ただ私立医学部は中退受験生にはかなり厳しい評価を課していました。これだけ出来るように(偏差値も70超でも)なっても入学許可が下りたのは4浪目の帝京大学医学部のみでした(親御さんも本人も日本医科大学と思っていましたが。私は:引き取ってくれた大学が最高の大学です。帝京大学医学部で頑張りましょうと告げました)。1浪目のサボり癖を直すために2浪目は駿台に行かせましたが、こんどは駿台をサボりまくりでやはり当塾の個別でした。3浪目に全敗を食らったときが最高に辛かったと思います。4浪のときには何度も模試で優秀賞でしたが、伝統ある医学部は受け入れてくれませんでした。当塾は本当に様々な生徒が来ています(ブログではわりと優秀な生徒を載せるときが多いですが、前回のブログにも載せたように:講師は腕が達のです。優秀な生徒を更に伸ばす+困っている生徒を伸ばすが出来る塾なのです)。まだまだいろんな生徒が居ましたが今回は栗原君と小林君を載せました。このブログに相当数の訪問者が来ています。色々なことを書きますので訪問をして下さい。
市川数理フォーラム代表羽立健三
市川数理フォーラム代表羽立健三